屋久島紀行
 

 


 

春の屋久島紀行 京橋工機且ミ長 山田幸二郎様より

淀川の登山口で目覚めたのは午前3時半。未だ暗闇の中、15人程のパーティーがヘッドライトの明かりで慌しく準備し、木立の中へ消えていく。私たちも午前4時半には暗い森の中へ足を踏み入れた。しかし妻の視野は予想以上に暗闇に阻まれ、明るくなってから出発すればよかったと反省の連続・・闇の中でライトに浮かび上がる木の根や飛び出した岩は、遠近感に欠ける妻の目には大変な障害だったのだ。結局空が白むまでの1時間余に進んだのは500m足らずだったが、途中真っ赤な「りんご椿」の花には救われた思いがした。
夜が明けて周りを見ると、そこは屋久杉やツガの大木・ヒメシャラ・亜熱帯の木・照葉樹林等が茂る深い森。東京の約5倍、年間1万ミリ近く降る雨により、いたるところが鮮やかな緑の苔で覆われていた。
登山口から1キロ程のところにある淀川小屋は満員で、周りにもテントが張られている。小屋に着いた頃から雨が降りだし、雨具をつけての登山となった。目指す宮ノ浦岳までは距離6キロ半・標高300m余の道程である。幸い雨は強くならなかったが、湿度が高く、汗が吹き出して額からしたたり落ちるほど・・3リットル用意した水も途中で補充を余儀なくされた。それでも整備された登山道のおかげで、周りの景色に目を移す余裕があり、あせびの白い花やヒメシャラの木に、伊豆高原の万三郎・万二郎へ石楠花(しゃくなげ)を求めて登山した時を思い出した。宮ノ浦岳も石楠花の山である。登山道にも沢山の石楠花が自生しているが、残念ながら開花は1月近く先のこと。花芽の付きが少ないのを理由に、今年は花があまりよくないと自分を慰めつつ、満開の石楠花に彩られたこの島にいつか訪れる日を心に描き、再び頂上をめざすのだった。

淀川小屋から次なる目標の花之江河(はなのえごう)までは凡そ3キロ。小屋を過ぎるとすぐ、10m程の吊橋が架かる川に出会う。森の湧き水を集めて澄んだ水は、思わず息を止めずにはいられない神秘的な美しさだ。橋の上でしばらくたたずみ、我に返って再び歩きだした。深い樹林帯の中でアップダウンが繰り返されてゆく。苔むした太い木々と倒木、そしてそれらを優しく包み込む深い霧・・何千万年も続く古代からのいとなみに、スクリーンの中に引き込まれていくような感覚を覚えた。千年以上も経た巨木は、時代を生き抜いた勲章のごとく太い宿り木をあちこちにつけ、永い風雪に耐えた凜しい姿で霧の中に浮かんでいる。花之江河までの登山道は頂上を目指す者にとって過酷ではあるが、それでも時折聞こえる鶯の音が、疲れた身体にエネルギーを与え、足取りを軽くしてくれた。途中3ヶ所ほどロープを使う難所もあるが、比較的よく整備された道で、淀川小屋を通過してから約2時間後、無事花之江河に辿り着いた。
花之江河は標高1700mにある高層湿原。ずっと深い樹林帯の中を歩き続けてきた登山者にとって、木道が敷かれた湿原一帯は久々に気楽になれる憩いの場所でもある。南側の尾根に遮られて雲が届かないのか、所々に青空がのぞき、雨具はもう要りませんよと語りかけているようだった。

花之江河を過ぎて次第に低くなる木々は、冬の厳しさを物語り、風雨で樹皮を剥がされ白骨化した姿で、懸命に生きている。投石平(なげいしだいら)近くまで登ると眺望は一気に開けた。ここから頂上にかけては石楠花の低木が群落をなし、一斉に開花したらさぞ素晴らしかろうと光景を想像しながら先へと急いだ。(ちなみに麓に飾られていた石楠花の一斉開花の写真は二年ほど前のものだという)
安房岳(あんぼだけ=1847m)・翁岳(おきなだけ=1860m)と山を巻いて進むと、正面に栗生岳(くりおだけ=1867m)を望む鞍部に出てくる。標識も宮ノ浦岳山頂まで残り1キロ、栗生岳に向かう尾根に取りつく人の姿に励まされ、最後の水補給を行った。 栗生岳を越えて急な斜面を一頑張りすると、むき出しの花崗岩に囲まれた中央には三角点・・、私達はとうとう宮ノ浦岳(標高=1936m)の山頂に立った。360度のパノラマを目にして証拠写真を撮った後の充実感は、辛い山道を登ってきた者だけが味わうことの出来る特権である。

屋久島のような世界地図にも載らない島がユネスコの自然遺産に指定された理由は、この島の特異性にある。

第一に有名なのは屋久杉。その樹齢は3000年で、アメリカのブリッセンコーンパイン(樹齢5000年余)に次ぐ長寿の木と言われる。長寿の秘訣には、温暖な気候・豊かな水の恵みに加え、島の生い立ちが関わっているという。
屋久島は遠い昔、地下深くのマグマが冷えて大きな花崗岩の固まりを作り、それが地殻変動で海底から上昇して生まれた。島の大半は花崗岩で屋久杉は岩にしがみつくように根を張るしかないため、温暖多雨の土地にもかかわらず木の成長はきわめて遅く、年輪の非常に細かい木になる。さらに厳しい条件の中で生き抜くために樹脂を多く蓄え、結果的に腐食しにくく寿命が長くなったのだ。
江戸時代に伐採されて使われなかった部分が山に残され、何世紀も経た現在「土埋木(どまいぼく)」として利用されているのも、腐りづらい木の性質を物語っている。 ちなみに江戸時代は、木の柾目の部分を板に割り屋根を葺く材料に使ったが、特に屋久杉で葺いた屋根は多雨な日本でも長持ちし、人々に重宝がられたという。島ではこの板を年貢として島津藩に収めていた。
前述のブリッセンコーンパインも、標高4000mという悪条件の中、樹脂を多く含むことで腐敗から身を守り、何千年もいき続けている。生きるための厳しい戦いがあるからこそ長寿があるといえるだろう。

第二は屋久島の気候。ここは周囲130kmと規模は小さいが、最高峰の宮ノ浦岳を筆頭に1000mを超す峰が40あまりある、非常に懐の深い島だ。北緯30度に位置しながら、黒潮の流れの影響で海岸付近は亜熱帯の植物が自生し、庭先にはハイビスカスが彩りをそえている。暖かい海からの風は雨をもたらし、深い森と豊かな澄んだ湧き水を恵む。
まるでここに日本の風土が凝縮され、亜熱帯から亜寒帯までの複雑な気候帯をこの小さな島だけで表現しているようだ。海岸線は亜熱帯の植物が生育し、少し登るとスダジイなどの照葉樹林、5〜600mからは屋久杉・ヒメシャラ・ツガなどの大木が苔むした森をつくり、さらに1000mからは広葉樹、1500mを超えると落葉樹も姿をみせる。その辺りからは木々も背をかがめ、さらに登ると皮を剥がれ白蝋化した幹が、冬の風雪の厳しさを物語っている。そして頂上付近は、冬は雪と氷に閉ざされる亜寒帯の世界。
このように、屋久島の海岸から宮ノ浦岳の山頂を目指すことは、日本列島を沖縄から北海道まで旅するようなものなのだ。海亀も上陸する美しい海岸、海岸を縁取る亜熱帯の木々、緑美しい照葉樹林、屋久杉やツガの古木が茂る苔むした森、石楠花に彩られた花崗岩の山、そしてあふれる湧き水に温泉と魅力たっぷりのこの島は、訪れるリピーターが多いのも頷けるだろう。
私も、次は縄文杉に出会うため、再びこの島に訪れようと思っている。

[加藤薫子税理士事務所